その言葉、本当に自分の言葉ですか?|AI時代に考えたい、文章と「敬意」のこと

インターネットには、たくさんの情報があります。

仕事について調べたり、誰かの考え方を知ったり、本を読んだり、他の人のブログを読んだり。

私自身も、キャリアや働き方について発信する中で、多くの人の文章や考え方に触れてきました。

そして最近、あらためて考えることがあります。

「誰かの言葉を参考にするとき、私たちはその人への敬意を持っているだろうか」

ということです。

目次

公開されている文章だから、自由に使っていい?

ホームページやブログの記事は、インターネット上に公開されています。

誰でも読むことができます。

だからといって、

「公開されているのだから、自由に使っていい」

ということではないと思うのです。

文章を書くとき、書き手はさまざまなことを考えています。

何を伝えたいのか。
どんな言葉なら伝わるのか。
どの順番で書けば読みやすいのか。
自分の考えを、どんな表現なら正確に伝えられるのか。

一つひとつの言葉を選びながら、時間をかけて文章にしていきます。
短い文章であっても、そこには書いた人の考え方や経験、仕事に対する姿勢が表れていると思います。

特に、仕事として情報を発信している場合には、その文章や表現そのものが、その人やその事業の「らしさ」になっていることも多々あると思います。

だから私は、

「インターネットで見つけた文章だから、簡単に使ってもいい」

とは考えていません。

「参考にする」と「そのまま使う」は違う

もちろん、誰かの文章を読んで参考にすることは悪いことではないと思っています。
むしろ、さまざまな人の考えに触れることは、自分自身の視野を広げるためにも大切なことだと思います。

本を読んで、

「こんな考え方があるんだ」

と知る。

誰かのブログを読んで、

「こういう伝え方もあるんだ」

と学ぶ。

そこから自分自身で考え、自分の経験や考えを加えて、自分の言葉で発信する。

それはとても大切なことだと思います。

一方で、

誰かが時間をかけて考えた文章や特徴的な表現を、そのまま自分の文章のように使うことは、「参考にする」とは違います。

もし、ある人の文章や書籍を参考にしたのであれば、

「この考え方を参考にしました」
「○○さんの著書を読んで考えたことです」

などと、出典を示す。

文章を実際に引用するのであれば、どこから引用したのかを明らかにする。

私は、それが書き手に対する最低限のリスペクトであり、礼儀なのではないかと思っています。

私自身、大学で「引用」や「盗用」について学びました

私は大学でレポートや論文を書く中で、引用や参考文献について学ぶ機会がありました。

他の人の文章をそのまま使うのであれば、それが引用なのか、どこから引用したのかを明らかにする。
誰かの考えを参考にしたのであれば、参考にした文献を示す。

自分の考えと、他の人の考えを区別する。
そして、他人の文章や考えを、あたかも自分自身が考えたもののように扱わない。

大学でレポートや論文を書く人にとっては、比較的基本的なことだったと思います。
もちろん、私自身もすべてを完璧にできてきたわけではありません。

だからこそ、最近あらためて考えています。

「これは誰かの考えではないか」
「この表現は、自分自身の言葉なのか」

そうやって確認することは、文章を書くうえで大切なことなのだと思います。

「知識」や「考え方」にも、敬意を払いたい

著作権について考えるとき、私は少し気になることがあります。

日本では、著作権というと、

「音楽をコピーしてはいけない」
「映画を違法にアップロードしてはいけない」
「写真を勝手に使ってはいけない」

といった、「形のあるコンテンツ」の問題として捉えられることが多いように感じます。
もちろん、それらも大切な問題です。

一方で、人が生み出しているものは、形のあるものだけではありません。

誰かが長い時間をかけて調べたこと。
考え抜いてたどり着いた考え。
仕事や研究の中で積み重ねてきた知識。
経験から生まれた工夫。

そうしたものにも、私は敬意を払いたいと思っています。

もちろん、知識や事実そのものすべてに著作権があるわけではないのでしょう。
著作権が保護するのは、基本的には「思想や感情を創作的に表現したもの」です。

ですから、誰かが発見した事実や一般的な知識、アイデアそのものまで、すべてを「その人の著作権だから使ってはいけない」と考えるのは正確ではありません。

でも、

「著作権があるかどうか」と「敬意を払うかどうか」は、別の問題なのではないでしょうか。

法律上、自由に利用できるものであっても、

「この考え方は、この人が長い時間をかけて積み重ねてきたものなのだな」

と思えば、その人への敬意を持つことはできます。
私は、その感覚を大切にしたいと思っています。

新聞記事の「無断利用」が問題になっている

最近、新聞記事の無断利用についても問題が相次いでいることを知りました。

新聞の記事は、記者が取材をし、集めた情報を整理し、編集者などによる確認を経て作られています。
その背景には、取材にかかる時間や人件費など、多くのコストがあります。
だからこそ、新聞記事を無断で複製したり、組織内で共有したりすることについて、著作権上の問題が指摘されています。

北海道新聞にも、企業や行政による新聞記事の無断利用や、生成AIが新聞記事などを利用して回答を作ることをめぐる問題についての記事が掲載されていました。

日本新聞協会も2026年4月、生成AIによる新聞・通信社などのコンテンツ利用をめぐり、権利者の意思を尊重し、適切な対価が還元される仕組みを求める声明を出しています。

新聞社が問題にしているのは、単に、

「文章をコピーされた」

ということだけではありません。
記事を生み出すための取材活動そのものが、無断利用によって成り立たなくなってしまうのではないか。
そんな問題も含まれています。

これは、個人が書くブログにも、少し通じるところがあるのではないでしょうか。

AIが便利になったからこそ、考えたいこと

生成AIによって、文章を作ることは以前よりずっと簡単になりました。

文章の構成を考えてもらう。
表現を整えてもらう。
自分では思いつかなかった視点を出してもらう。

AIを便利な道具として活用すること自体を、私は否定するつもりはありません。
私自身も、文章を考えるときにAIを活用しています。
だからこそ、ここは自分自身にも問いかけなければならないことだと思っています。

「自分も知らないうちに、誰かを嫌な気持ちにさせていないだろうか」

ということです。

AIが作った文章の中に、誰かの表現に似たものが含まれているかもしれません。
自分では気づかないうちに、誰かの考え方や表現を取り込んでしまっている可能性もあります。

だから、

「AIが作った文章だから、自分には関係ない」

とは考えたくありません。

AIを使うのであれば、最後にその文章を公開する責任は自分自身にある。
そう考えておきたいと思います。

文化庁も、生成AIと著作権について、AIによって生成されたものについても、既存の著作物との「類似性」や「依拠性」などを踏まえて、著作権侵害に当たるかどうかを考える必要があると整理しています。

AIは便利な道具です。

でも、

便利であることと、何をしても許されることは同じではありません。

これは、AIを使う私自身も忘れてはいけないことだと思っています。

「声」も、その人らしさの一つ

文章だけではありません。
最近、AIによって人の声を再現することについても、大きな問題になっています。

2026年9月には、声優・俳優の津田健次郎さんが、自身の声をAIで再現した動画をめぐって訴えていた裁判で、東京地方裁判所が、本人の声についてもパブリシティ権による保護の対象となり得るとの判断を示したことが報じられました。

声は、単なる「音」ではありません。
その人が長年仕事をしてきた中で、多くの人に知られるようになった、その人を象徴するものでもあります。

技術的には声を再現できるようになりました。
だからといって、

「再現できるのだから、使っていい」

とはならないと思います。

ここにも、

「できること」と「してよいこと」は違う

という問題があります。

文章についても、同じことが言えるのではないでしょうか。

「法律に触れなければいい」だけではない

もちろん、何が著作権侵害に当たるのかは、法律に基づいて判断されます。
同じテーマについて書いたからといって、それだけで著作権侵害になるわけではありません。

仕事の悩みについて書けば、似たテーマになることもあります。

「仕事を続けていていいのだろうか」
「転職したほうがいいのだろうか」
「自分に合った仕事がわからない」
「誰かに相談してみる」

そうした言葉は、多くの人が使うものです。

同じ仕事をしていれば、考え方が似ることもあります。

だから私は、

「少し似ているから問題だ」

と言いたいわけではありません。

大切なのは、

「どこまでが一般的な表現で、どこからが、その人が考えて生み出した独自の表現なのか」

ということ。

そして、

「それを参考にしたのであれば、参考にしたことを認める」

という姿勢です。

法律に触れるかどうかだけではなく、

人が時間をかけて生み出したものに対して、敬意を払う。

私は、それが大切なのだと思います。

私自身も、完全ではありません

ここまで書いてきましたが、私自身も完璧ではありません。
私も、誰かの文章を読んで影響を受けることがあります。

本を読んで、

「この考え方は自分の考えにも近い」

と思うことがあります。

そして、今はAIも使っています。

だからこそ、

「自分は絶対に大丈夫」

とは思っていません。

もしかすると、私自身も知らないうちに、誰かの表現を参考にしすぎてしまっていることがあるかもしれません。

誰かに、

「この文章、以前どこかで見たことがある」

と思わせてしまうことがあるかもしれません。

そう考えると、これは他人だけに向けた話ではありません。

自分自身にも向けた話です。

だからこそ、文章を書くときには、できるだけ確認したい。
参考にしたものがあるなら、それを確認する。
引用するなら、引用であることを明らかにする。
誰かの考えをもとにしたのであれば、自分の考えと区別する。
AIを使ったのであれば、そのまま鵜呑みにせず、自分自身で確認する。

そして、最後は自分の言葉として責任を持って発信する。

そんな姿勢を大切にしたいと思っています。

「参考にしたなら、参考にしたと伝える」

インターネットでも、本でも、AIでも。

誰かが作ったものを利用するときには、

「使えるから使う」のではなく、「使ってよいのか」を考える。

そして、

「参考にしたなら、参考にしたと伝える。」

引用するなら、引用だとわかるようにする。
出典を示す。

そこから自分自身の考えを加えて、自分の言葉にする。

私は、それが発信する側に求められる基本的な姿勢なのではないかと思います。
これは、誰かを責めるために書いているのではありません。
私自身も、これまで多くの人の考えや文章から学ばせてもらいました。

だからこそ、これからも学ぶことを大切にしながら、同時に、学ばせてもらった人や、その人が生み出したものへの敬意も忘れないようにしたいと思っています。

そして、自分自身が発信するときには、

「これは本当に自分の言葉なのか」

と、時々立ち止まって考えてみたいと思います。

インターネットでも、AIでも、便利になったからこそ、
人が考え、時間をかけて生み出したものを大切にする。
法律を守ることはもちろん大切です。

でも、それだけではなく、

「これは誰かが大切に作ったものかもしれない」

と想像すること。
その人の時間や経験、知識、思いに敬意を払うこと。

私は、そんな感覚も大切にしていきたいと思います。

そしてこれからも、キャリアカウンセリング Office SORAでは、私自身が考え、感じ、経験してきたことを大切にしながら、仕事や働き方について、自分の言葉で発信していきたいと思っています。

記事を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ひとりで考えを整理するのが難しい時や、「これからの働き方について少し話してみたい」と感じた時は、いつでもお気軽にご相談ください。

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